特別寄稿

ウィーン楽友協会合唱団大阪公演(2012.10)

2009年大阪公演 ブラームス「ドイツ レクイエム」(いずみホールブログより
2009年大阪公演 ブラームス「ドイツ レクイエム」(いずみホールブログより

20121028日 中西英夫

 

<僅か3年で再来日公演> 

 住友生命社会福祉事業団運営の“いずみホール”(大阪)が主催する「ウィーン音楽祭in OSAKA」も今年7回目を迎えた。1990年にホール開館以来、3年毎に開催してきたウィーン音楽祭の中で、ウィーン楽友協会合唱団は創立150周年を記念して前回(2009年)招聘されたが、これは合唱団にとって30年振り(1979年:カラヤン指揮、東京)の来日公演であった。その僅か3年後に再びこの音楽祭で招聘されたのは、いずみホール音楽ディレクターの礒山雅教授が「前回、久しぶりの来日となったウィーン楽友協会合唱団が特に印象に残っている。ウィーンの伝統を体現した存在である彼らを、今回も招くことができたのは喜ばしい」と記者会見で語ったことからも理解できる。しかも、この音楽祭は残念ながら予算の都合上今回の7回目をもって終了となるという背景もあったと考えられる。


<“新鮮なモツレク> 

 今回は1024日のシューベルト「ミサ曲第2番」とモーツアルト「レクイエム」、1027日のベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」の2公演であったが、残念ながら私は27日公演を聴くことができなかった。

ステージ上に登場した懐かしい団員達。しかし、前回より人数は少ないし、前回の顔ぶれとは大分違う。人数は予算上の制約からかもしれないが、メンバーが変わり過ぎていることに違和感を覚えた。どうも指揮者が団員を選抜し、曲作りを行ってきたようだ。そんな背景もあったのであろう、前回現地参加で私も彼等と一緒に元団員としてブラームス「ドイツ・レクイエム」を歌わせてくれたのに、今回はそんなに甘くはなく、一緒に歌わせてはもらえなかった。

シューベルト「ミサ曲」が、パイプオルガン伴奏で始まった。のびのびと、しかしメリハリがはっきりしていて心地良く流れて行った。しかし、団員が指揮者の棒になびくが如く譜面を或いは身体を動かしているのには、従来見受けられなかったことなので大変驚いた。どうも合唱指揮の世界で大活躍している指揮者アロイス・グラスナーの強い指導があったように見受けられた。(彼はオーストリア生まれ。現在オーストリアの主要合唱団を指揮しているほか、合唱コンクールでも審査員を務めている。ウィーン国立音楽大学教授)

そのような指揮者がモツレクをどのように演ずるか楽しみであった。ところが、最初から、テンポがかなり速いのには驚ろかされた。しかも、どの曲も速く、Lacrimosaも同様だ。従って、合唱はテヌート的に歌うよりも、単語の頭(とりわけ子音)をはっきり歌い、後は頑張らずに抜いて歌うような感じで、“爽やか感”を持って速いテンポに付いていっていた。そうなると一般にベースは大変になるのだが、今回のベースはそれに耐えられる団員が選ばれたのかもしれないと思うほどであった。ベースの深堀りするような太い声は全く聴こえず、少し物足りなさすら感じた。Dies iraeの中の”Quantus tremor est futurus”はベースが3回歌うが、mpmffという感じで、ベースの力強さという声は殆ど聴かれなかった。公演後に団員から聞いた話だが、全体として“怒鳴る”ことを徹底的に排除してきているし、ベースの場合は深堀りする太い声も避けられているとのことのようだ。今回は意外にもソプラノが弱かったように聴こえたので、全体として、合唱はまとまってはいるもののやや元気が無いような響きに聴こえた。

 総じて、モツレクは早いテンポで軽やかに流れていき、従来のイメージ感から逸脱しつつも、とても新鮮さを感じた。

ただし、今回はオケ伴ではなく、パイプオルガン伴だ。団員から聞いた話では、どうも予算制約からオケ伴ではなく、止むを得ずパイプオルガン伴となったことのようだ。そのため、オルガン奏者(ハンガリー人)が自らその楽譜を起こしたようだ。テンポがゆっくりしておれば、調和した伴奏になるのに、とても早いテンポで流れるので、オルガンらしさがその忙しさ故に発揮できず、足を引っ張ったように感じた。しかも、このオルガンは機能的に強弱のコントロールが滑らかにできないようで、いきなり強い音になったり、弱い音になったり、とても凸凹と聴こえてしまい、モツレクの荘厳さや優美さが打ち消されてしまったのが残念であった。

 独唱は全員日本人で、(S)半田美和子、(A)井坂 恵、(T)望月哲也、(B)若林 勉であったが、半田美和子がひときわ美声を響かせて、団員達からも絶賛の声が上がっていた。

 この演奏会にはNHKTVが収録しており、来年1月ごろNHK BSプレミアムで放映される予定だそうだ。BSプレミアムの性格上、ただ公演そのものではなく、今年創立200周年を迎えたウィーン楽友協会特集という番組で、その中の一部としてこの公演の一部部分が放映されるのではないかと想定している。私は1階後方でNHK-TVカメラ脇だったので、音楽全体が少しベールに包まれたような響きだったので、前方上方のマイク録音された音との違いを、この放映で確かめられることを楽しみにしている。

 

<多忙な合唱団>

合唱団員達は27日の公演(午後4時開演)終了後、その夜直ちに関空からウィーンへ向けて飛び立つという慌しさだった。彼等は99日にオルフ「カルミナ ブラーナ」、930日にはモスクワでオネゲル「ダヴィデ王」、1011,12日にベートーヴェン「ミサ ソレムニス」を歌い、そしてその10日後に大阪へ飛んできたので、到着時から疲労感を漂わせていたようだ。前回来日のときもそうだが、合唱団はアマチュア合唱団なので多くの休日を取るわけには行かず、祝日である1026日(建国記念日、1955年に戦後の連合軍支配から独立し、永世中立国宣言を行った日)を挟んだ来日日程になっている。そして、帰国後ウィーンにて111日には再びモツレクを、112,3日マーラー「復活」公演へと続いている。本当に多忙のようだが、今後の益々の発展を期待したい。

大阪公演ご苦労様でした、と別れを惜しみ、いつの日か再会することを誓い合った。

 

メ ロ ス は、 走った!

アルト 落合直子

 太宰治の短編『走れメロス』と、原作であるシラーの物語詩との大きな違い。それはシラーのメロスが友との約束を守るためにひたすら走り続けるのに対し、太宰のメロスは、一度だけ「もう間に合わない。だったら走るのはやめて田舎に帰ろう…」と考えるところです。ありのままの人間の弱さを、現代人・太宰は描いたのでした。

 今回の暗譜はつらかった。途中、何度投げ出しそうになったことか。「やっぱり楽譜を持つことにしました。」と言ってもらえることを、わりと最後のほうまで期待していました(楽譜カバーもネーニエの分と二枚用意したし)。「一人ぐらい間違っても、ほかに100人以上いるから大丈夫」とも考えましたが、通し練習で、抜ける時はパートごとごっそりと抜け落ちるんだとわかって冷や汗が出ました。

 しかし、本番でちゃんと歌えたのは素晴らしいではないか! もちろん暗譜に力をそそぎ過ぎたゆえに(個人的にです)、覚えた言葉を出すのに必死で、先生方からの諸注意がおろそかになってしまった点も多くありました。演奏会の録音を聴いていても、ソリストやオーケストラの豊かな音の伸びに比べ、合唱がボツボツと切れているところが目立ち気になりました。けれども暗譜で得たものもたくさんありました。何よりも指揮をよく見たこと。私たちは全身を目にして秋山先生を見つめ、全身を耳にしてオーケストラや合唱の他のパートを聴きました。本番直前まであんなに一生懸命に楽譜を勉強したことは、最近なかったと思います。達成感と、大きな自信が生まれたように感じています。

 それにしても、こんな不確定要素だらけの私たちを本番舞台に送り出した長田先生の心境は…。メロスのために人質となった親友セリヌンティウスさながら、いやそれ以上の不安ではなかったでしょうか。「信じている、でも、ひょっとして」――しかしセリヌンティウスよ、メロスは戻ってきましたよ。メロスは、私たちは還ってきました。歓びの歌を歌いながら、多くの収穫を手にして。                

 

 

シラーとギリシア神話

資料研究部 落合直子(アルト)

 

重厚な和音、たゆたう旋律、歌い込むほどに魅力を増す「ネーニエ」。

ドイツ語の歌詞もその美しさが味わえるようになってきたこのごろ……

 だけど、

なんでギリシア神話なの?

 

 

アンセルム・フォイエルバッハ(18291880)は、美術史上「ドイツ・ローマ派」と呼ばれている画家です。考古学者の父からギリシア・ローマの古典的教養を学んだ彼は、イタリアを愛し、『王女メディア』などギリシア神話をモチーフに、落ち着いた色調の理知的な作品を描きました。けれどもそれは、当時のドイツ美術界―フランス印象派の影響が及びつつあった―には背を向けた姿勢でした。

ブラームスもまた、ワーグナーやリストのように新しい音楽を追求するのではなく、バッハやベートーベンなど過去の音楽家たちに敬意を払っていました。時流に対するこうした二人の姿勢には相通ずるものがあったのでしょう、1860年代に始まった彼らの交友は長く続きます。ブラームスがフォイエルバッハの死を悼む曲を作るにあたり、おそらく友の口からしばしば熱く語られていたであろう「ギリシア古典」を題材にした詩を選んだのは、大いに想像できることだと思います。

では、なぜシラーの詩はギリシア神話なのか?

フリードリッヒ・フォン・シラー(17591805)は18世紀ドイツの偉大な詩人・劇作家です。1789年、彼が30歳のとき、フランス革命が起こりました。隣国の革命をはじめは歓迎していたドイツの知識人たちですが、その後の残酷な展開を知るにつれ、いかにしてそのような混乱を経ずに真の自由社会を導くことができるかと、きわめて観念的な考察を始めます。当時すでに劇作家として名をはせていたシラーも、その命題に挑んだ一人でした。

ところで18世紀半ばには、ポンペイ遺跡の発掘が行われたり、イギリス貴族の間でイタリア旅行が大ブームとなって古代遺跡の絵入り旅行記が刊行されるなど、古代ギリシア・ローマについての世間の知識は豊富になっていました。美術史家のヴィンケルマンは、古代ギリシアにおいてこそ「理想美」が実現したのだと主張し、思想界に大きな影響を与えました。

シラー自身、少年期にラテン語学校へ通ってギリシア・ローマ古典についての知識を得、24歳のときマンハイムの古代美術館を訪れた際には、初めて見る古代ギリシア彫刻の神々の像(レプリカでしたが)に激しく感動しています。その上で彼は独自の歴史的研究とカント哲学による考察を重ね、ギリシア古典と理想的人間像について新しい美学的立場を打ち立てたのです。

それは、私がわかる範囲でかいつまんで言うと――古代ギリシアにおいて、自然との調和によって人類が理想とすべき普遍的人間像が完成した。しかし自然を失ってしまった近代人は、今度は理性によって普遍的人間を目指すことができる。自然(感性)と理性の調和はただ美的体験によってのみ導かれるもので、芸術こそが普遍的人間形成の、ひいては理想的社会実現の手段である――。

1795年、新しい美学論・教育論についての論文を書き上げたシラーは、堰を切ったように一連の思想詩を書きます。『ネーニエ』はその代表作であり、「美」すらも死すべしという運命観、しかし悲歌という芸術でそれがさらなる高みで生かされることの崇高さ、そして凡俗なるものの排斥といったシラーの思想が、ギリシア神話そのものを比喩に用いることで美しくイメージをわき上がらせながら、表現されています。

美と理想を熱く追い求めるシラーの文学は明治期の日本にいち早く紹介されましたが、今日、詩集・戯曲のほとんどは絶版となっています。といって私たちのまわりに彼の痕跡が全くないわけではありません。ベートーベンの第九の合唱の原詩がシラーの『歓喜に寄せて』であることは有名なところでしょう。スイス独立の英雄『ウィリアム・テル』の劇を知らない人はいませんし、ヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』も原作はシラーの戯曲です。    そして、太宰治の短編『走れメロス』。これはギリシア伝説をもとにしたシラーの物語詩『Die Bürgshaft(人質)』(昭和12年に日本語訳が出ている)を翻案したものだそうです。「メロスは激怒した。」――ああそうか、なぜあの話がいきなり古代ギリシアを舞台にしていたのか、中学校以来の疑問がいま解けたという人もいるのでは?

 参考文献:「シラー」(内藤克彦:清水書院センチュリーブックス) 「ブラームス」(三宅幸夫:新潮文庫)

  はじめてのドイツ文学史」(柴田翔編集:ミネルヴァ書房)「ドイツ・ロマン主義世界」(神林恒道編:法律文化社

 

 

ウィーン楽友協会合唱団 再び大阪へ

中西英夫(T)

 今秋の10月下旬に、「ウィーン音楽祭in OSAKA 2012」(主催:いずみホール)に出演のため、ウィーン楽友協会合唱団が再び大阪へ来ることになった。2009年秋に同じ音楽祭へ出演のために大阪へ来ているが、その30年前にカラヤンが率いて東京へ来ているので、3度目の来日だ。

 今回はウィーン楽友協会の創立200周年を記念した行事で、同合唱団は1024日(水)シューベルト「ミサ曲第2D167」とモーツアルト「レクイエムK.626」を、また、27日(土)にはベートーヴェン「ミサ・ソレムニス op.123」を歌う。

 前回のブラームス「ドイツ・レクイエム」には、私も唯一の現地参加者として一緒に歌ったので、今回も早速参加できるか否か照会してみた。しかし、今回は創立200周年記念行事でかなりウィーンにて仕上げてきてしまうという理由で、残念にも参加は断られてしまった。そもそも現地でいきなり参加してステージに立つのが厚かましいのだが、前回は喜んで迎え入れてくれ、私も日本で彼等と一緒に、ブラームス「ドイツ・レクイエム」(同合唱団初演)を歌うことが出来、最高の幸せだった。

 今回、先方に照会した際、今月末には東京アカデミー合唱団で「ドイツ・レクイエム」を歌うということも伝えたので、先方からの返事には、「貴合唱団の公演のご成功を祈る」とメッセージが寄せられていた。 勿論、私は秋に大阪で彼等と再会するが、とりあえずは、前回彼等と歌った「ドイツ・レクイエム」のことをも想い出しながら、先方からのメッセージを有り難く斟酌しながら、今月末のアカデミー公演に全力を尽くしたいと思っている。