RECITATIVO

 

                      長谷川潔(B)

小貫先生のリサイタルを聴く

 シューマンの名作「詩人の恋」は昔からの愛聴歌であり、愛唱歌だ。リートと言えば自分の中ではシューベルトの「冬の旅」「水車屋の娘」「白鳥の歌」とともにこの4作。家内や義弟のピアノで歌ったのはもう40年余も前のこと。プライ、ディースカウ、ヘフリガー、シュライアー、ゲルネなどの名歌手の声はいまも耳に残る。

 小貫岩夫先生の「詩人の恋」を聴くと、この曲が本来、テナーの曲だということを思い起こさせる。柔らかな声が`Im wunderschoenen Monat Maiと歌い出す。繊細で純情な青年の抒情を表現するのにぴったりだ。プライやゲルネのダイナミックレンジの大きい激しさはないが、小貫先生の歌い方がむしろ青年の心情に沿っているのかも知れない。

加えて、小貫先生の声には清潔感がある。音程が決まっているのはもちろん、言葉の発音が丁寧で美しい。恋する若者の心情の好ましさが浮かび上がる。久しぶりに心地よいリートの世界に浸ることができた。

こうした美点は日本語の歌では、なおのことよく分かる。前回の紀尾井ホールでの武満徹「小さな空」、今回のアンコールの同「翼」の素晴らしいこと。武満さんの歌の良さを改めて教えてもらった気がする。

 

後半はオペレッタ、ミュージカルの曲が主体。小貫先生は抒情性だけでない、ドラマティックなテナーでもあることを存分に示した。二期会のオペラやオペレッタで主役を張る歌唱力は、前回の紀尾井ホールでの「誰も寝てはならない」「カタリカタリ」で感じたが、今回も会場が1曲ごとに沸いた。我らが発声指導者である小貫先生の幅広い表現力にブラヴォー!!!

香気ただよう「ばらの騎士」――秋山・都響公演を聴く

 メサイアのオケ編成などを相談するため、マエストロ秋山が指揮した都響定期公演を聴きに東京文化会館に出かけた。

 まずヒンデミット「弦楽と金管のための協奏音楽」。難解な現代音楽でも簡単な曲のように明快な棒を振るマエストロだが、この曲は1930年作曲とあり、さほど難解な感じはしない。途中で弦と金管が一斉に強奏、まるでパイプオルガンが鳴っているような響きになったのが印象に残った。

 次はモーツアルトの名曲、ピアノ協奏曲24番・ハ短調。先日アーノンクールの追悼番組でランランが見事な演奏をしていた曲だ。昔、マゼール指揮、NYフィルの公演で聴いたランランは力でバリバリ弾くタイプだったが、変身し軽やかさや深みを見事に表現できる名手になっていたのに感心した。

 フランスのピアニスト、エリック・ル・サージュもとても良い演奏だった。モーツアルト時代のピアノを意識してか、ペダルを最小限にしか使わない。最近の奏者のペダル過多の演奏にヘキエキしていることもあり、清潔で好ましいし、音もよい。マエストロの端正で気品さえ感じられる棒が、沈潜する悲しみを湛えた曲想を浮かび上がらせ、ピアノを支えた。極上のモーツアルトだった。

 

 メインはR・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲。マエストロの棒はロマン派に実にあう。繊細でダイナミックで、テンポの揺らぎが絶妙。途中で出てくるワルツの呼吸はウイーンの貴族社会の香気が漂う。故カルロス・クライバーが得意とした曲だが、日本でこんなに自然にこの曲の味を引き出せる指揮者が他にいるだろうか、と思った。

カール・ジェンキンス公演を終えて

もう2週間経ったというのに、幸せな余韻が続いている。カール・ジェンキンスの「平和への道程」(The Armed Man: A Mass for Peace)公演の聴衆の方々の評判はとても良かった。13年の「ヴェルレク」、14年の「マタイ」公演に勝るとも劣らない、鮮烈な印象を残したようだ。

「素晴らしい選曲。そして合唱団の皆さんの渾身の演奏に感動した」(二期会のマネージャー)

「さまざまな宗教の違いを越えて平和を願うテーマが切々と伝わってきた」(新聞社部長)

「あんな長い曲を暗譜でしかも各パートの声がそろっていて、貴合唱団は一段とレベルアップしたと感じた。特に緩急や強弱のつけ方もはっきりしていて、ppもよく聞き取れるしffは迫力があり、曲の心も十分表現できたのではと思う」(ある大学OB合唱団団長)。

寄せられた感想を読むと、演奏に涙を流されたお客さんが多かったようだ。私も11番でソプラノ・ソロの半田美和子さんによる戦死した親友の不在を嘆く静かなソロを聴き、ベネディクトゥスのチェロ独奏に入った所で涙するのを止められなかった。2011年の東日本大震災直後のロイド・ウェッバー「レクイエム」演奏で、やはり半田さんとボーイソプラノのデュエットに涙して以来だ。

世界の合唱界ですでに人気のある曲とはいえ、ジェンキンスのこの曲は日本ではあまり知られていなかった。推薦した1人として、聴衆の方々に評価されたことがまず嬉しい。現代曲を取り上げると歌う団員が減り、チケット売れ行きも定評のある名曲に比べて落ち込むのは確実だ。その結果、大幅な赤字公演を覚悟しなければならない。しかし「定番」といわれる古典派やロマン派の名曲だけでなく、現代の名曲を紹介していくのはアカデミーの伝統の一つである。公演後の団の反省会で「またこれを歌いたい」という声が出たことも嬉しい。

「また騙されたよ。ゲネプロまで心配させられたのに、本番はまるで違った」。マエストロ秋山の楽屋前での第一声だ。「暗譜で全員が僕に集中してくれて嬉しかった。とてもやりやすかった。楽譜を見て顔を上げられない人がいると、ルバートをかけて(テンポを微妙に動かすこと)もそれに対応できないんだよね」。公演の演奏録音を一緒に聴いた際に、マエストロはこう述懐された。合唱指揮の木村美音子先生は本番直前まで楽譜を持ない暗譜にするか、譜を持つか、悩まれていた。しかし暗譜を貫いたことで、多少言葉が出なかったり、もつれたとしても、集中力という代えがたいものを演奏にもたせることができたようだ。

本番直前まで廊下で譜を懸命に読む団員の姿が見られた。年齢のせいか私も90%程度の暗譜は早めにできたが、歌うたびに10%程度、どこか忘れていて、なかなか100%に達しなかった。公演後にプログラムの対訳を眺めて、前半に歌ったメンデルスゾーン「詩編115」の独語に加えて、ジェンキンスの仏語、ラテン語、英語と「こんなに長い外国語を覚えたのか」と感慨ひとしおだった。楽譜を持つことが決まっていれば、全団員による懸命な作業はなかっただろう。そうした団員の努力は報われたという想いである。

マエストロの嬉しい記事、相次ぐ


秋山和慶 指揮者生活50周年記念演奏会(東京交響楽団より)
秋山和慶 指揮者生活50周年記念演奏会(東京交響楽団より)

 我々を48年近く指揮していただいている秋山先生の慶事と嬉しい記事が相次いでいる。昨年11月の文化功労者に選ばれたのに続き、211日の指揮者生活50周年を祝う東響公演、さらには2月末に『ところで、きょう指揮したのは?秋山和慶回想録』が発売される。この間には東京アカデミー合唱団創立50周年記念「マタイ受難曲」公演がはさまれている。


 東響の記念公演については、別稿で書いた。6年ぐらい前だったか、東響の方から「マエストロに指揮者就任45周年の公演はどうかと話したら、50周年ならともかく、そんな半端なのはやめよう、と言われた」と聞いた。今思うと、良かったのではないだろうか。文化功労者になったうえで記念コンサートを開くことになり、会場のミューザの席は完売だし、大手メデイアも50周年を迎えたマエストロの音楽を高く評価する記事を相次いで掲載した。


 朝日の吉田編集委員は119日付で「熟成の指揮、50年もの」と題し、「ここ数年、振るたびに新境地を開き続けている。難解な曲に挑むほどに、大局を見据えつつ最良の一手を繰り出す名棋士さながらの采配が冴える」と書いた。

 日経の池上編集委員は128日付で「明快な指揮、世界が追随」、「デビュー50年、斎藤メソッドを継承」の見出しで、「北米の40か所ほどの楽団で指揮したが、どこでその指揮を習ったのか、と行く先々で聞かれた。あなたのやりたいことは棒を見ただけですぐ分かる、とよく言われた」というマエストロの言葉を紹介した。


 両紙とも211日の指揮者生活50周年記念コンサートに言及しており、チケット完売に貢献した。その公演のプログラムに兄弟子の小澤征爾さんは「秋山さんは、斎藤先生の一番理想的な弟子だと私は今でも思っておりますし、斎藤先生の指揮法を一番正しく受け継いでいるのが秋山さんです」「斉藤先生は、亡くなるまで一番信頼されていたのが秋山さんでしたし、先生を一番幸せにしたのが秋山さんだと思います。そして、斎藤先生に一番迷惑をかけたのが、山本直純さんと私だったと思っております」という祝辞を寄せた。


 極め付けは気鋭の音楽評論家、岡田暁生京大教授が216日付で朝日に載せた50周年記念公演評「即興の息吹、品のいい快活さ」だ。「間違いなく秋山は、小澤征爾と並んで、戦後日本の生んだ最も偉大な指揮者といってもいいだろう」「近年の秋山のパフォーマンスには、居合わせた聴衆すべてに、今ここにいるのが日本で今日得られる最も偉大な指揮者だということを自ずと納得させる、圧倒的な存在感がある」「かつてと同じく定型的な解釈の枠の中で職人的な万全の仕上げを達成しつつ、随所に‘今ここ’でその音を発見したような歓びがきらめく。即興の息吹が加わる」「今の秋山の音楽には、どこか‘翁’と言う言葉が連想させる朗らかさがある。おおらかで品のいい快活さが自然と聴衆を安心させ、落ち着かせ、魅了する。こうした年のとり方は、音楽の領域に限らず、現代社会においてどんどん忘れられつつある貴重な資質である」。


 岡田氏が何年か前に西洋音楽の通史を新書で出した時に注目したのだが、この文章を読んで驚いた。短い中で、見事にマエストロの近年の音楽で聴ける本質を表現していたからだ。その表現、言葉遣いはかつて、吉田秀和氏が小澤征爾さんやグールドを表現した切れ味に通じるものがある。この岡田氏の言葉、音楽家にとってこれ以上の褒め言葉はない、と言う意味で、マエストロを敬愛する一人として嬉しさがこみ上げた。久しぶりに切れ味が素晴らしい評論を読んだ気がした。




圧巻だった「クロイツェル」ソナタ――水戸芸術館のリサイタル

 

 竹澤恭子さんのリサイタルを久しぶりに聴いた。7月初めの日曜に横浜から水戸へ出かけた。ここの芸術館は初めて。こじんまりしたホールで室内楽に向いている。

 

プログラムの最初はドヴォルザーク「ヴァイオリンとピアノのためのソナティーナ、ト長調、作品100」。米国に渡って書いた交響曲9番「新世界」の初演直前に完成したという。確かに親しみやすいメロディをソフトな語り口でヴァイオリンが奏でる。軽快で土の匂いさえする。ピアノ(イタマール・ゴラン)との呼吸が見事に合っている。休日に朝から流してみたい優しさのある曲だ。

 

2曲目は本来はベートーヴェンの「クロイツェル」ソナタのはずだったが、場内アナウンスが「演奏者の希望でプログラム最後に予定されていたブラームスのヴァイオリン・ソナタ3番と入れ替えます」。数年前のサントリーホールでのデビュー20周年公演以来のブラームスである。

 

1楽章は初めから緊張感と切れ味に満ちている。ニ短調らしい陰影のある旋律。第2楽章に入ると、一転して長調に変わり、豊かな中低音にメロディックな高音が加わり、竹沢さんらしい音がアダージョのテンポでゆったりと広がる。作曲したという夏のスイスの湖畔の穏やかな風景が浮かんでくるようだ。「ああブラームス!」と感じる楽章である。短い第3楽章を経て終楽章に移ると、様相は一変。ピアノと火花を散らすような丁丁発止の熱演になり、竹沢さんの演奏の凄みが出た。

 

休憩をはさんでの後半はまず、ブラームスが生涯にわたって慕い続けたクララ・シューマンの「3つのロマンス、作品22」。ピアノの分散和音に乗ってヴァイオリンの音をたっぷり聴かせる、流麗で美しい曲だ。ベートーヴェンの名曲「ロマンス」を連想した。

 

最後のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ9番「クロイツェル」はやはり圧巻だった。これを最後にしたのが納得の演奏だった。「ピアノとの協奏曲」といわれる曲だが、凄まじいまでの集中力とピッチの良さ、自在なダイナミックス、緊張感の強い弱音、さらには高音域の冴えた美しさ、など竹澤さんの美質が全て堪能できた。ピアノのゴランも見事。節度ある音量でヴァイオリンに寄り添うかと思えば、主張すべきところではしっかり出てくる。うまい。終楽章の2人の張りつめたやりとりは、触れたら火傷しそうな燃焼ぶりだった。これぞ室内楽の醍醐味である。

 

私の近くにいた女性2人が終わるやいなや、さっと立ち上がって拍手を送っていた。竹澤さんが豊嶋泰嗣さんや堤剛さんと組んだサントリーホールでのフェスティバル・ソロイスツが毎年、こうした緊張感に満ちた室内楽を聴かせてくれたのを思い出した。ここ数年ないのが寂しい。

 

夜に横浜で予定があったので、公演終了後、竹澤さんにご挨拶もせずに会場を後にした。アンコールを聴けないのが心残りだった。後日、聞いたところによると、「赤トンボ変奏曲」を演奏したという。涙を流されたお客さんも少なくなかったそうだ。

           

 

マゼール死去に思う――意外なつながりも

 

ロリン・マゼールが亡くなった。私には思い入れのある指揮者の一人だ。

 

最初に聴いたのは学生時代末期の69年だったか、東京文化会館であったベルリン・ドイツ・オペラ特別演奏会の「ドイツ・レクイエム」。初めて聴く曲だったが、最初に静寂のなかに薄く響くSelig sindに痺れてしまい、曲が終わるまで「なんという素晴らしい曲だろう」と圧倒され続けた。すぐにレコード店に行ったが、まだ彼自身の演奏はなく、カラヤン盤を買い求めた。

 

2回目は就職して名古屋に行って間もない72年ごろだった。ベルリン放送交響楽団を率いてのベートーヴェン7番とアンコールの「エグモント」。思い返せばマゼールはまだ42歳ぐらいでエネルギッシュだった。熱の塊りのような音が押し寄せながら整然とした響きも両立させる演奏だった。

 

人によって好き嫌いが分かれる指揮者だろうが、私はこうした体験からファンであり続けた。自由自在な棒。譜を置いているのを見た記憶もない。天才を感じさせる人だった。70年代後半にフランスのオケを率いてNHKホールでの公演後、楽屋口でサインをもらった。知性と野性を感じさせる眼が印象に残る。

 

NYのカーネギーホールの裏に老舗の楽譜店がある。棚にマゼールが10歳ぐらいの時にトスカニーニに招かれてNBC交響楽団を振った時の写真が飾ってあった。あどけない坊やが指揮棒を持っていた。

 

私がNYに駐在していた時は、ちょうど彼がNYフィルの監督だった。もう70代後半で、エンルギッシュな姿は消えていた。このためか曲によってはdullな演奏もあり、お客が拍手もそこそこにすぐに帰ってしまうこともあった。NYフィルも新進のドゥダメルが振る時には集中力があり溌剌とした演奏になるのに、マゼールではそんな演奏がなかなか聴けなかった。しかし久々にMETに登場し、「ワルキューレ」を振った時は別だった。音楽に生命力が復活し、たっぷりとした呼吸をしていた。日常的な仕事のNYフィルとは違ってMETでのワーグナーは特別だったのだろう。

 

聴衆として生涯忘れえない公演は3つある。1つは上記の「ドイツ・レクイエム」。2つ目は同じころに日比谷公会堂であった東響の「ブラームス1番」。秋山和慶先生の指揮だった。確か深沢亮子さんのピアノによる「皇帝」が前半にあった。秋山先生はまだ確か29歳。髪も眼鏡も黒かった。ここでも初めて聴く「ブラ1」に圧倒され続け、東響が変身したように大熱演を繰り広げた。

 

3つ目はベーム、ウイーン・フィルによる75年のベートーヴェン「4番,7番」と77年の「6番、5番」。この両公演はライヴ録音が残っている。特に5番は表現する言葉が見当たらない。

 

いつだったか東京アカデミー合唱団の公演の打ち上げで、東響の金山茂人元楽団長が話していた。「マゼールの公演が予定されていて、その練習での下振りに斎藤秀雄先生から送り込まれてきたのが、まだ学生の秋山だった。練習をしてみて、なんだあの学生は! すげー、と皆おったまげた」。

 

私に音楽の素晴らしさを体験させて一生の糧にしてくれた2人の指揮者は、こんなところで線がつながっていたのだ。東響は桐朋を卒業したばかりの秋山先生を指揮者に迎え、その3年後には東響の紹介でアカデミーも秋山先生を戴くことになった。マゼールの死亡報道はこんなことを思い出させてくれた。安らかにお眠りください。合掌。

 

 

アバードの訃報に思う                    長谷川潔

 10数年前にガンを患い激やせして以来、いずれこういう日が来るとは思っていた。貴重な指揮者を失ったという喪失感が深い。こんな感じはカール・リヒターやベームの訃報に接して以来だ。私自身は名演生で体験する機会はなかったが、病気になってからのライヴ録音で残されたDVDやCDでその素晴らしい音楽に触れることができた。ゆっくりお休みなさい、と祈るばかりだ。

 初めて彼の指揮に接したのは19733月に名古屋であったウイーンフィルの公演。曲が何だったかは全く覚えていない(調べると、モーツアルトの交響曲40番とベートーヴェンの3番「英雄」とある)。ただアンコールでやった「美しき青きドナウ」は覚えている。楽員が指揮に従うというより、自分たちで勝手に奏している風だったからだ2年後に東京でカール・ベーム指揮のウイーンフィルを聴いた時は、楽員が全身全霊をこめて演奏していたことを思えば、当時の指揮者と楽団の関係を表していたのだろう。

 2回目は19819月にミラノ・スカラ座と東京文化会館で演奏したヴェルディ「レクイエム」。トモワ・シントウ(S)、ニコライ・ギャウロフ(B)らの名歌手たちがソリスト。これはなんとももったいないことをした。私自身がヴェル・レクを聴きこんでおらず、単に「オペラのようなレクイエム」というイメージを抱いていた。激しくも深い祈りを内包するこの曲の良さがわかっていなかった。

 オーソドックスではったりのない指揮者という感想だった。ウイーンでハンス・スワロフスキー(東京アカデミー合唱団の指揮者尾高忠明さんも学んだ名教師)師事した後、1963年にミトロプーロス指揮者コンクールで、東京アカデミー指揮したことがあるチェコのズデニェク・コシュラーと同率1位となっている。手首が柔軟で指揮はうまいのだが、穏やかな感じの音楽づくりだったような印象が残った。

 彼の変貌に気づいたのは96年に東京・サントリーホールでベルリンフィル、スェーデン放送合唱団と演奏したマーラー2番「復活」だ。これはTVの録画で見て、金縛りにあってしまった。途中までは心配そうな表情をしながら丹念に振っていたのが、終盤では音楽に完全に入り込み、何かに憑りつかれたような表情でauferstehnを歌っている。もうこれは作為など入り込む余地のない指揮だった。音楽と完全に一体化していた。

この時の演奏に近いDVDとCDが2003年のルツェルン音楽祭のライヴとして市販されている。楽員たちを「音楽をつくるパートナー」と考える指揮者を慕って世界から集まったトップ奏者たちが、懸命に指揮を見て全霊をこめて演奏する姿が見える。カラヤンやベームらカリスマ性のある指揮者とは違う登山道をたどって、同じ頂にアバードは立ったのだ。

手元には2001年にライヴ録音されたベルリンフィルとのヴェルディ「レクイエム」がある。これもDVDとCDが市販されている。ここでもアバードはあのレクイエムを劇的だが、静かで深い祈りのある音楽にしている。

彼の死が報じられて以降、惜しむ声が続々と聞かれる音楽に臨む真摯な姿勢と虚飾のない音楽づくりが、新しいタイプの巨匠を生み出したと言えないだろうか。

NY駐在中の2006秋にカーネギーホールで「ベルリン芸術祭」が企画され、アバード指揮ベルリンフィルが主役と聞きチケットを入手したものの、病気再発で中止となった。昨年秋の東京でのルツェルン祝祭管弦楽団との公演も同様で、ついに真の巨匠となったアバードを聴く機会を永遠に失ってしまった。合掌。

 

 

「奇跡」が起きた? ヴェルレク公演を終えて

 ヴェルディ「レクイエム」公演の幸せな余韻が徐々に消え去っていく。頭の中はすでに始まったシューベルトの「ミサ曲5番」に切り替わりつつある。いま書きとめておかないと、記憶も薄れていきそうだ。


 ヴェルレク公演は本番まで不安を抱えていた。日本を代表する名匠のマエストロに10回の練習に加えて2日間の合宿もみっちり指導して頂いた。さらに2回のオケ合わせとゲネプロを重ねて本番を迎えた。同じ注意を何回も受け、なかなか改善しない。合宿である程度まとまったと思ったら、その直後に崩れてしまう。いつものことではあるが、これで壮大であるだけでなく深い祈りが表現できるのか、という不安が払しょくできなかった。マエストロも「良かったり、そうでなかったりだね」と漏らされ、ご心配をかけてしまった。


 最後まで不安が残ったのが、終盤にソプラノ・ソロとアカペラで歌うRequiem。本番中もソロを聴きながら、懸命に合わせてみたが、きちんとハモッていたのかな、という感じが残った。終演後、五月女先生に「あのアカペラのところどうでした?」とお聞きしたら、「良いハーモニーでしたよ」。これを聴いてまずホッとした。繰り返されるDies iraeで聴こえてくるソプラノの音にもの凄いエネルギーがあるのを感じていた。練習ではあんな声は聴けなかった。あのアカペラ部分で失敗していなければ、良い演奏ができたのでは、と思った。オペラシティの舞台は後方で歌っていると他のパートがあまり聴こえない音響設計になっているので、合唱のデキについては自分ではよく分からないのはいつものことだ。


 しかし聴いてもらった方々の反響はかつてないものだった。これまでの公演でも「感動した」「素晴らしかった」という賛辞をもらうことは少なくなかったが、こんなに熱っぽいコメントを次々にもらったのは初めてである。しかもプロの声楽家や音楽事務所、オケ関係者の人々、音楽評論ができる聴くプロともいえる方々から絶賛を受けた。「深い祈りが聴けた」という嬉しい評も混じっていた。極め付きはマエストロから「今日はいい演奏をしてくれてありがとう」との言葉を公演後に食事をしてお別れする際に頂いたことだった。先生からこんなに嬉しい感想を頂いたのはたぶん初めてだ。


 ソリスト4人の歌唱の素晴らしさにも言及しなければならない。皆さんに推薦して頂いた初共演のソリストが3人。成田先生のヴェルレクが素晴らしいことは予想できたが、他の3人の方々に期待通りの最高の演奏をして頂けた。これだけのソリスト陣がそろうことは今年数多く開かれるヴェルレク公演でも難しいのではないか。我々の公演成功の大きな要因だった。


 選曲の際に候補曲がいくつかある中で「ヴェルレクをやろう」とスパッと仰ったマエストロに、「ヴェルディ生誕200周年の年ですから、ヴェルレクだらけになりそうです」と申し上げたら、「我々が他にないヴェルレクをやればいい」ときっぱり答えられたことを思い出す。公演後の評判を聞くと、「そんなヴェルレクができたのかも知れない」と思う。楽譜を持たない暗譜で多少の不安を抱えながらも、本番でマエストロの指揮に懸命に食らいついていったのがよかったのだろう。


 アカデミーの古参団員は「アカデミーは本番に強い」と信じている。練習で下がっていた音も本番では下がらなくなることは何回も経験済みだ。これは本番の緊張感がもたらすものだろう。何よりもマエストロの本番での指揮が我々に練習ではできなかったことまで可能にさせる「魔力」をもっていることが大きいのではないだろうか。「やっぱりマエストロの音楽づくりは素晴らしい」。本番中、こう感じ続けていた。


 合唱はアマチュアが最高水準の演奏ができる分野だとかねて考えている。私が合唱音楽を始めたころに最高の合唱団と思っていたカール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ合唱団。リヒターがミュンヘン中央駅前でビラを撒いて集めたアマチュア合唱団だ。軌道に乗るにつれ声楽を学んだ人が集まっていったと思うが、1969年に東京で「ロ短調ミサ」や「マタイ」などバッハの大作を演奏した時はアマ中心の合唱団だった。CDでそのライヴを聴くと、合唱の発声には粗さも感じられるが、なによりも歌う熱っぽさが溢れており、会場を包み込んでいる。この時の演奏は吉田秀和氏らが絶賛をした語り草となっている。


 プロが少ない練習回数で技術的に完璧な演奏をしたとしても、感動するとは限らない。私もすぐれた合唱を聴く機会が多いが、「感心」はしても「感動」しないことが多い。今回のヴェルレク公演は、8か月にわたる木村美音子先生や太田由美子先生ら先生方の根気ある指導の積み重ねの上に、マエストロの素晴らしい音楽表現が加わってオペラシティのホールにヴェルディが舞い降りる「奇跡」が起きたのかも知れない。

 

ダイナミックなヴェルレクだったが・・・

        横浜シティ合唱団の第13回定期公演を聴いて

 なかなか好いヴェルレクだった。創立20周年記念という横浜シティ合唱団の第13回定期公演(みなとみらいホール)。指揮は青木洋也、オケは神奈川フィルだった。


 ソプラノ41人、アルト38人、テナー14人、ベース21人の計114人で、オケは第1ヴァイオリンが12人の4管編成。これで合唱の音量が小さいという感じはしなかった。


 出だしのRequiemは音量がかなり大きめだ。ハーモニーはいい。特にソプラノとベースの外声部の響きが良い。ベースにスーパーベースといえそうな声を出す人が1人いて低音にズシーンとした響きをもたらしている。

 青木氏はハキハキとした指揮。あまり細かい表情付けはない。テンポは総じて速い。Dies iraeは圧倒的だった。オケ、合唱をまとめる指揮はなかなか堂に入っている。


 ソロはS鵜木絵里、MS布施奈緒子、T志田雄啓、B伊藤純の布陣。ソプラノの鵜木はデビューだったと思うが、昔「ホフマン物語」で見事なオランピア(人形)役を歌ったのが強烈な印象に残る。細い声だが、透明で良く通る。高音域に余裕があり、ピッチも気持ちが良い。終盤の難所といえる、弱音で上のB音へオクターブ跳躍するrequiemも楽そうに上がった。


 聴かせどころの多いメゾ・ソプラノの布施は初めて聴いた。メゾらしい音色で中高音域がとても充実していた。アルトやコントラアルトではないのだから、低音域の響きが薄くなるのは仕方がない。前半で出てくる上のAs音(judicetur)も余裕だった。声量は大きくはないが、3重唱のLux aeternaのソロはうっとりするほど聴かせた。


 テナーの志田は日本音楽コンクール1位というが、他の3人に比べ声量が少し足りない感じで、音程も部分的に不安定に聴こえた。Recordareの最後のB音もやっと届いた。

 出色だったのはバスの伊藤純。深いバスらしい堂々たる歌で、日本の声楽家のイメージを突き抜けている。Salva meの深々とした響きは「お見事!」という思いだった。


 合唱はやはりSanctusの2重コーラスによるフーガが最初の難所だった。オケの音量が大きいせいもあるが、旋律パートの動きが明瞭には聴こえなかった。Libera meのフーガもごちゃごちゃしたが、山場は形成できていた。こういうフーガをもっと整然と聴かせるのは至難の技だろう。これはそのまま我々の課題になる。


 もう一つ。指揮者の音楽表現に関係することだが、総じてppppp, ppppと楽譜に書かれているところの音量が大きかった。例えば、ppのユニゾンAgnus Dei, pppで始まりppppで終わるアカペラのrequiem


 先日の練習で「指揮に比べて皆さんの音量は常に大きい」と木村先生が指摘されていた。せっかく良い演奏をしたのに、pppppができないと、音楽の襞(ひだ)というか深さが感じられなくなる。今回のヴェルレクが全体的に壮大でダイナミックに感じられたのは良いとして、弱音に託されたヴェルディの祈りを切実に感じることはできなかった。われわれにとって、これは他山の石といえそうである。

 

マエストロ秋山、充実の指揮――桐朋60周年とシティ・フィル初定期を聴いて                                

   桐朋学園音楽部創設60周年を記念する「指揮者の祭典」(秋山和慶実行委員長)がサントリーホールで開かれた。桐朋を巣立った指揮者14人が集まり、ソリストや各地のオケで首席奏者などとして活躍している奏者から成る桐朋同窓会オーケストラを指揮した。

   開幕曲はハイドンの弦楽4重奏曲67番「ひばり」。第1Vn.徳永二男、第2Vn.豊嶋泰嗣、Va.店村眞積、Vc.堤剛の顔ぶれ。豊嶋、堤両氏は第1Vn.の竹沢恭子さんとサントリー・フェスティバル・ソロイスツでいつも素晴らしい演奏を聴かせてくれる室内楽の名手だ。しかし曲が始まると、雲雀(ひばり)がすーっと舞い上がらない。第1ヴァイオリンのピッチがどうもピタッとはまってない気がした。徳永氏は私がアカデミーに入った44年前には東響の若きコンマスだった。その後、N響のコンマスに転出して、現在は桐朋の特任教授という。

   第2曲目のワーグナー「名歌手」前奏曲はもちろん飯守泰次郎さんの指揮。ゆったり目のテンポで堂々とした演奏。第1ヴァイオリンの強靭な音にしびれる。コンマスは読響首席だった藤原浜雄氏、竹沢さんも和波孝禧氏も弾いている。第2Vl.には加藤知子さんが、チェロには長谷川陽子さん、ヴィオラには中村静香さんが、クラリネットは大島文子さんが、ハープには篠崎史子さんがいる。日本音楽コンクールをはじめ内外のコンクールで優勝するか上位に入った奏者が多い。最近のサイトウ・キネン・オーケストラは外国人も少なからずいて、小澤征爾さんに縁がある奏者の集まりという感があるが、この日のオケは桐朋OBで構成する初期のサイトウ・キネンを思わせる。

   第3曲はエネスコ「ルーマニア狂詩曲第1番」で、指揮はアカデミーがバッハ「ヨハネ受難曲」を振って頂いたことがある黒岩英臣氏。テンポがどんどん変わり、オケの合奏の面白さを味わう。それにしても優秀なオケだ。飯守さん、黒岩さんも秋山先生と同じ斎藤秀雄門下だが、指揮スタイルが違うのが面白い。飯守さんは失礼ながら無骨な棒(あのベームもそうでした)。黒岩さんは4拍子にすると、3拍目の横に振る仕草が目立つ。

   第4曲目は武満徹「3つの映画音楽」より2曲、井上道義氏が弦楽オケを指揮。コンマスに竹沢恭子さんが入り、チェロに堤剛氏が加わった。第1曲はジャズ風あり、抒情的なフレーズもある曲で、弦の切れ味の鋭さを感じる。2曲目はしゃれた素敵なワルツ。武満の映画音楽は分かりやすい。井上氏は棒を持たずパントマイムをしているような指揮だが、雄弁な表現力が感じられる。アカデミーの練習指導をしてくれたのは、彼がまだ指揮科の学生時代。終演後にロビーで「六文銭という新大久保に近い居酒屋で、秋山先生をはじめいろんな指揮者の振りマネをしたのを覚えています?」と聞いたら、「覚えてないなあ。いま65歳だけど、ずいぶん昔だからね」。

   次はドヴォルジャーク「スラヴ舞曲」とブラームス「ハンガリー舞曲」から有名な5曲を指揮者10人が曲の途中でバトンタッチして振る。大友直人、増井信貴、北原幸男、十束尚宏、梅田俊明、大山平一郎、高関健、山下一史、曽我大介、寺岡清高の諸氏。このうち5人はアカデミーを振って頂いたことがある。主役ともいえる弦楽合奏が美しい。

   最後は秋山先生が指揮するストラヴィンスキー「火の鳥」。第1Vn.が18人もいる大編成。この曲を生で聴くのはベーム、ウイーンフィルの東京公演以来になる。わがマエストロの指揮はどう振るということではなく、自然に動く棒から音楽が紡ぎだされていくような印象を受ける。難しい拍子もごく自然に振り分けられている。オケからすれば弾きやすいだろう。こうした流れるように自然な棒はアバードやクライバーぐらいしか思い浮かばない。指揮者を比較できるこういう演奏会で見ると、改めてわがマエストロの棒は天才的と実感する。

   カーテンコールが続く中で、秋山、飯守両マエストロが客席に向かって手招きをする。小澤征爾さんがラフな普段着姿で立ち上がり、舞台へ。歩く姿は腰が少し曲がっているが、元気そうだ。舞台に上がり、拍手が熱く盛り上がった。本来なら桐朋の指揮者の祭典には欠かせない人だ。もう一人、アカデミーが練習の指導でも、本番でもお世話になった尾高忠明先生がいてくれたら、と思った。

 

   東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期公演を秋山先生が初めて振った。そもそも東日本大震災直後の21011320日、アカデミーのラッターとロイド・ウェッバーの「レクイエム」公演で共演した縁が、マエストロとこのオケを結びつけたのだろうと想像している。我々にとってこのオケの印象はすこぶる良かった。プロのオケに時として感じられる「アマチュア合唱団に付き合ってやる」といった空気がなく、一緒に音楽を共演するという姿勢が感じられたからだ。我々は来年4月に再びこのオケとヴェルディ「レクイエム」で共演する。

   曲は前半がモーツアルトの交響曲35番「ハフナー」。引き締まったテンポで始まった。弦が切れるように軽快で、管とのバランスもよく音楽的に充実している。モーツアルトを聴く喜びを感じる。ウェルザー・メストがクリーヴランド管を振った25番のト短調を思い浮かべた。

   後半はラフマニノフの交響曲2番。なんとも素晴らしい演奏になった。指揮者とオケが一体になってラフマニノフが描いたロマンティックな音の像を築き上げた。聴衆もそれに引きこまれた。指揮棒と一緒に呼吸している気がした。3楽章から4楽章にかけては、久しぶりにどきどきする興奮を覚えた。オケの人からも「マエストロ秋山の的確な指揮に、オケが乗せられたとても良い演奏会となりました」というメッセージを後日もらった。マエストロとこのオケのケミストリー(相性)は良さそうだ。演奏後のブラヴォーの声には、この組み合わせでまた聴きたいとの願いが込められていたようだった。

 

高村さんの出版お祝い会と竹沢恭子さん 

                              

 99日の日曜日、東京・三鷹駅前のビルで、高村寿一・武蔵野大学名誉教授(竹沢恭子ファンクラブ会長)の新著「切手が語るヴァイオリン」(草間書房)の出版お祝い会が開かれた。武蔵野大やその前の勤務先だった日本経済新聞社の関係者が多かったが、竹沢恭子さんがご両親とともに出席されていてお話しできたのは、予想外の嬉しいことだった。

 そういえば、前日に恭子さんは東京都響とシベリウスの協奏曲を演奏しており、東京に滞在中だったのだ。前にTVの「N響アワー」で竹沢さんのシベリウスの熱演を聴き、「生でぜひ聴きたい」と思っていたのに、残念ながら聴きに行けず、口惜しい思いをしていたところだった。

 恭子さんはこの日の夜に羽田発の便でパリに戻り、すぐにイタリアでトリエステに行ってショスタコの協奏曲を演奏するとか。私が属している合唱団の指揮者、秋山和慶さんが実行委員長となっている「指揮者の祭典」(桐朋学園音楽科創設60周年記念)が108日にサントリーホールであるが、そのオケ・メンバーとして竹沢さんの名前が堤剛さんらとともにあった。そのことを聞くと、「今度はそのために戻ってきます」。確か、竹沢さんはサイトウ・キネンのオケにも入ったことがないはず。半信半疑だったが、本当だった。これは楽しみだ。

 「これからですか。そうですね、やはりバッハに取り組みたいと思います」。私が勤めていた新聞社の先輩である西谷晋さんの質問に、恭子さんはこう答えていた。もちろん無伴奏のパルティータやソナタだ。高村ファンクラブ会長はかねて「竹沢さんは若い時から近・現代の曲に積極的に取り組み、名曲頼みにならなかった」ことを高く評価している。そうした軌跡が今日の竹沢さんの音楽の幅や深さを増すことに結びついているからだろう。

 少し前にパーヴォ・ヤルヴィ指揮、フランクフルト放響でヒラリー・ハーンのメンデルスゾーンの協奏曲を聴いた。とても充実した演奏だった。NYで聴いたアンネ・ゾフィー・ムッター、マズア指揮、NYフィルを大きく上回る名演だった。ハーンは10年ほど前にシンガポールでブラームスの協奏曲を聴いている。その時は線が細く感じられ、竹沢さんのような集中力のある充実した音、スケールの大きさはなかった。音が澄んでいて正確で気持ちの良い演奏で、「未来の大家」の可能性を感じた。パーヴォの聴衆を鷲掴みしてしまうカリスマ性も大きいが、10年間という時間はヤンキー娘という感じだったハーンを大きく変えた。アンコールに弾いたバッハの無伴奏(たぶんソナタ2番のグラーヴェとアレグロ)も彼女の充実ぶりを示していた。

 竹沢さんは、ハーンが聴かせてくれた充実した音はすでに備えている。バッハの演奏ではさらに前進し、静けさの中に深さや宇宙的な広がりを聴かせてくれる日が来る、と楽しみにしている。

 

高島敦子のソプラノ、秀逸な声と技にブラーヴァ! 

 

秀逸なリサイタルだった。透き通った声。輝きがあり、やや堅めだが伸びる。特に弱音が素晴らしい。5線以上の高音をコントロールする高度な技術がディミヌエンドを支える。たぶんコロラトゥーラもできると思われる。mfからpぐらいまでは、ヴィブラートが少ない。清潔感を感じる所以だろう。

声量もある。声に芯があるから大ホールでも通りそうだ。おまけにスタイルの良い美人である。世界的なスターになれる人材ではないか。これだけリリックでキレもある声なら、ボエームや蝶々さんをぜひ聴いてみたいものだ。ラフマニノフのヴォーカリーズや歌曲、宗教曲で十分に声と技術を確認できた後に、聴く山田耕筰らの日本の歌曲は言葉が明快で、すがすがしい気持ちの良さがあった。(2012617日、東京文化会館小ホール)

 

 

吉田秀和さんの訃報に思う 

                                

 音楽評論家の吉田秀和さんが亡くなった。先日、フィッシャー=ディースカウが亡くなった時に、吉田さんが何か書かないかなと思っていたが、その4日後に亡くなったのだから、もう無理だったのだ。

 少し前に若いチェリストの宮田大さんを追いかけたTV番組があった。小澤征爾さんの指揮で水戸室内管弦楽団とハイドンの協奏曲を弾くはずだった。しかし小澤さんは体調悪化で舞台には乗れず、宮田さんとオケのみで演奏するとアナウンスがされると、一部の聴衆が抗議して騒いだ。客席にいた吉田さんが立ち上がって理解を求める発言をして、ようやく収まったのだった。「まだ元気そうだ」と思った。

 我が本棚には全集をはじめ、彼の著作が多い。最近は熱心な読者ではなかったが、2030歳代にはよく読んだ。語り言葉ともいえる平易な自然体の文章で、濃い内容を書きえた人だった。背景には文学、美術といった芸術全般についての深い造詣があった。リベラルアーツを学ばせた旧制高校の理念を最高の意味で体現していた人だった。コンサートの単なる感想ではない評論とはこういうものか、と教えられた。

 それに、独学かどうかは知らないが、彼の評論は楽典の知識で裏打ちされていた。チェリストの堤剛さんが新聞の追悼文で「桐朋の子供のための音楽教室で、吉田さんに楽典を教わり、畑中良輔さんにソルフェージュを習った」と書いていた。彼の本には丁寧な手書きの譜例がしばしば登場する。フランス語はもちろんだが、ドイツ語もよくし、ドイツ・リートの解説にこれ以上の人はいなかった。

 リヒターのバッハやベームの来日公演、シュライヤーのシューベルトを論じていたのを思い出す。戦後間もない時期に欧米への長期の旅に出て、フルトヴェングラーを生で聴いたことが、他の評論家とは違う地平に立たせたように思えてならない。音楽の演奏とは、という価値判断の基準が定まったのではと想像している。

 先日、古い文書を整理していたら、新聞社に入って2年ぐらいの駆け出し時代に、音楽会に行っては感想を書いていたノートが出てきた。アバードとウイーン・フィル、リリングのロ短調ミサ、東京アカデミーのマタイ受難曲・・・。こうした書き物をするようになったのは、朝日新聞に吉田さんが書いていた評論の真似事だったと思う。

 「ひび割れた骨董のようだ」。晩年のホロヴィッツを聴いてこう書いたのはよく知られている。朝日新聞の論壇時評を書いていた私の師、伊東光晴教授は「良いものを取り上げ、批判したいものは取り上げないのが私のやり方だ」と言っていたことを思い出すが、吉田さんはずばりと切り込んで、「さすが」という喝采を博した。著名すぎる演奏家の初来日公演だったので、書かざるを得なかったのだろう。

 「長い間、私にはマーラーの音楽がよく分からなかった」という趣旨のことも書いていた。分からないことを分からないと素直に書けるのは、逆説になるが、鑑識眼に自信があればこそと思う。

 「カミさんに先立たれることは人生の予定になかった」。昨年、自宅を訪ねた知り合いの記者にこうつぶやいたという。音楽を聴きながらも寂しい最晩年になっていたのだろう。音楽家も育てた稀有な評論家はいまごろBrahms Wie lieblich deine Wohnungen と歌った天国の家で夫人に再会し、音楽を心から楽しんでいるに違いない。<合掌>

 

「神様」フィッシャー=ディースカウを悼む

 

 フィッシャー=ディースカウが亡くなった。誰もが認める「神様」だった。若い時からフルトヴェングラーに起用され、有名だった。レコードで最初に聴いたのは、確か、フルヴェン指揮のマーラー「さすらう若人の歌」だった。彼の代名詞ともいえる「冬の旅」をはじめとするドイツ・リートはもちろん、オペラでも存在感があった。「タンホイザー」での「夕星の歌」のうまいこと。ベーム指揮でプライのフィガロと張り合う伯爵役も表情のある演技とともに忘れられない。

 生で聴いた最初は「冬の旅」。「カラス」のシニカルな歌い方に「歌がうまいというのはこういうことか」と納得した。ザルツブルグで聴いたツェムリンスキーも夫人と2人でソロをしていたが、いつ聴いても舌を巻く上手さだった。実声とファルセットの完璧な連結。切り替えがわからないその見事さが彼の歌唱の特徴だろう。

 サバリッシュ指揮のサントリーでの「ドイツ・レクイエム」。やはり夫人とともにソロを歌った。楽譜を手にしていたが、一度も開くことはなく、3番を歌い出した。バリトンとして高音域と思われるところも、そう思わせることなく、スーッと歌う。あまりに楽に歌えてしまうことで、詩の内容がもつ苦悩がにじみ出ない気もした。

 リートもそうだが、歌い方は主観を出すというよりは、知性的、客観的な語り口の人だった。その点、若い青年のような風貌で詩の内容にある感情を激しく出すプライの歌とは、正反対の歌い方だった。

 死亡記事には92年に引退した、とあった。もう20年にもなったのか、と思う。引退後だったのか、彼がリートの歌い方を生徒に教える番組が何回か連続で放送されたことがある。ほとんどプロという人たちが対象だったが、指導内容にはなるほどと感心するばかり。もっとも印象に残るのは伴奏者への細かい注文だった。歌曲のもつニュアンスを精緻なまでに極める姿勢が示されていて、「リートの神様」の神髄を物語ってあまりあった。

 生徒にはマティアス・ゲルネのような立派な歌手がいる。私自信にとって好きな歌手はプライの方だったが、つねに尊敬する歌手であり続けた。20世紀後半のクラッシック音楽界の中心にいた偉大な歌手に感謝するとともに、「お疲れさま」と冥福を祈りたい。

 

 

 

ブラームス「ドイツ・レクイエム」公演を前に

 

 いま東京アカデミー合唱団は630日(土)1600から東京オペラシティ・コンサートホールで開くブラームス「ドイツ・レクイエム」と「ネーニエ(哀悼歌)」の練習を重ねている。私が学生時代にこの合唱団で歌っていた時、秋山和慶先生の指揮するドイツ・レクイエムを歌うために練習しながら、就職後の最初の勤務地が名古屋になってしまい、歌えなかったことがあった。41年前のことだ。その後、尾高忠明さんや円光寺雅彦さんの指揮で歌ったが、念願だった秋山先生の指揮で初めて歌えることになる。

合唱団は秋山先生にはもう45年も指揮して頂いているが、同先生によるドイツ・レクイエムは20年ぶり。20年前の時は記者の仕事が忙しくてまだ合唱団には復帰していなかった。

 マエストロの音楽も成熟度がぐーんと増し、最近の演奏はまるで音楽が自然に呼吸しているように感じる。東京交響楽団と演奏したブラームス1番がライヴCDとして売られているが、「レコード芸術」誌が「特選」としたように、秋山・東響による名演となっている。最近の東響の音はとりわけブラームスに合っているように思う。マエストロにはこれからもさまざまな公演を指揮していただきたいと考えているが、ドイツ・レクイエムはこれまでの頻度からみて最後の機会かも知れないと案じている。

 ドイツ・レクイエムはバッハの「ロ短調ミサ」「マタイ受難曲」とともに、合唱音楽の最高峰に位置する名曲だと思う。その主題は生きている人々への「慰め」(troesten)だ。「美しき者も滅びなければならない」とシラーの詩を歌うネーニエも大変美しいブラームスらしい曲である。「草は枯れ、花は散る」と歌うドイツ・レクイエムとの共通点がある。

 本番までに10回あるマエストロ練習で、柔らかく深いが時に明るいブラームスの響きが出せるよう磨き上げなければと思う。

  

 

 

カーネギーホール「モツ・レク」公演

      日米合同で豊かで深い響き紡ぐ 

                    木村、成田両先生のデビュー大成功!

                                 

 あー、戻ってこられた。カーネギーホールの大きな舞台に足を踏み入れ、2804席の上に広がる空間を見た時に、何とも言えない安堵感を覚えた。3年前までNYにいた時に10回以上は立ったこの舞台で、今度は東京アカデミーの仲間と一緒に歌えるという感慨でもあった。

 

チャイコ、マーラーが立った舞台

 120年前、チャイコフスキーが指揮して杮落としをし、その後、マーラーがNYフィルの前身の音楽監督時代に何度も指揮台に立った場所だ。杮落としでは私が所属していたオラトリオ・ソサエティがチャイコフスキーの指揮で歌っている。カーネギーは夫人がオラトリオ・ソサエティのアルト団員だった関係で、その理事長を31年間務め、同ソサエティが「メサイア」をオーケストラとともに大編成で歌えるように建てたのがこのホールである。

クラッシック音楽の殿堂であり、音楽をする者にとってはあこがれの舞台の1つだ。

 「NYのカーネギーホールでモーツアルトのレクイエムを歌わないか」。こういう話が東京アカデミー合唱団の代表をしている私に持ち込まれたのは、東日本を襲った大震災・津波と福島原発の事故から間もない20114月下旬だった。大震災からの復興のためのチャリティー公演にしたいという。「日本の仲間にもあの素晴らしい舞台に立ってもらいたい」と、東京アカデミーで参加者を募る一方、企画した会社とともに他の合唱団にも呼びかけた。

 その結果、伝統ある成城合唱団や他の合唱団から80人余りの人々が各地から集まり、8月から週1回の練習が始まった。本番の指揮者は東京アカデミーの合唱指導者の1人である木村美音子先生にお願いした。しかし希望者を集めて編成した合唱団なので、ソプラノは多いが、アルトやテナーが少ないといったパートのバランスがいびつで、練習でのハーモニーづくりは大変だった。

 

米側団長はかつての合唱仲間

 現地では米国側からNYフェスティバル・シンガーズに所属する合唱団員がこうしたバランスを補う形で40人余り参加してくれ、力強くてリッチなサウンドを出せる総勢120人規模の合唱団となった。US-Japan Goodwill Concertに相応しい日米合同合唱団になった。

 米国側の団長は私がNYでもう1つ入っていた5番街の教会を本拠とするカンタベリー・コラール・ソサエティのアレックだった。彼以外にもカンタベリーで一緒に歌った知人が数人いる。帰国した私と入れ替わるようにオラトリオに入った知人の日本人の男性や女性も加わっている。ここで再会するとは思ってもみなかった。フェスティバル・シンガーズは随時にいろいろな合唱団から参加して編成する合唱団のようだ。オーケストラは歴史が浅いが、プロのマンハッタン・シンフォニー。

 NYの教会を使った前日の練習の際に、日本側団長としてこんな挨拶をした。「大震災後、日本は米国の政府、軍、草の根の人々から多くの支援を頂いた。今回の公演はチャリティー目的だが、そうした米国の方々に感謝する機会にもしたい。レクイエムを日本の震災犠牲者だけでなく、米国の911のテロ攻撃やその後のアフガン、イラクで亡くなった人々のためにも、日米で心を合わせて演奏したい」。本番直前の楽屋で、日本側の女性グループが米国側団員に折鶴をプレゼントし、「平和や健康を願う伝統的な紙細工」と説明すると、歓声を上げて喜んでくれた。

 合唱団員は120分の1だから気楽といえば気楽だ。しかしカーネギーの大舞台にデビューする指揮者の木村先生やソリストの成田眞(バス)、高島敦子(ソプラノ)両先生は本番が終わるまで街歩きなどは一切せず、準備や体調管理に努めていた。もっとも大変だったのは米国のオケと対峙する木村先生だっただろう。

ゲネプロを含めて3日続いたオケ合わせの最初から英語と表現記号のイタリア語をミックスしながらの大奮闘。ジュリアードで学んだNY在住の若手指揮者、伊藤玲阿奈氏がコーディネーターとして木村先生を補佐してくれた。木村先生は自ら望む表現に関して妥協せず、オケができるまで繰り返した。米国人気質を知る私は楽員がついていけるかどうか、少しハラハラもした。

 

厚い響きで力強く

 本番。レクイエムの序奏を聴く限り、オケの仕上がりはいい。合唱のベースがRequiemと歌いだす。さすがにこのホールは響きが適度によく、歌いやすい。音がフォルテで切れた時の残響の残り方も長くはないが、手ごたえを感じる。後ろの米国人たちもよく声が出ている。練習では彼らのテンポは後ずれしていたが、本番ではまずまずだ。舞台上では他のパートはソプラノが薄く聴こえるぐらい。オケの音とソプラノを聴きながら、歌っていく。キリエの大フーガが盛り上がって、かなり厚い響きの圧倒的な音量で終わる。

 木村先生が次の楽章のディエス・イレに入ろうとする前に、どっと拍手が来た。こういう楽章間の拍手は、ふだんクラッシックの演奏会に行くことがない人々が聴いている場合によく起きる。無料コンサートで震災犠牲者や復興のために寄付をお願いする公演だから、音楽にあまり縁のない人も多いのだろう。レクイエムは鎮魂ミサ曲という性格から、教会で演奏する場合は拍手をしないこともある。しかし演奏会では終わった時に拍手するのが普通だ。歌っている方としては、熱演に拍手をもらうのだから、そう悪い気はしない。

 ディエス・イレ(怒りの日)は凄まじい演奏だった。ダイナミックレンジが大きく、テンポも速い。木村先生が指揮する手を頭より上に挙げるのをはじめて見た。オケも速い動きによく応じていた。

 ソロは米国側のアルト、テナーを含め音量のバランスが取れ、水準が高い。高島敦子さんのソプラノの声質はモーツアルトに合っている。成田先生は11月の教会でのコンサートで聴いた通り、響きが練れた堂々たる声だ。レコルダーレ(思い出したまえ)のソロの4重唱を聴くと、オケと一体化して会場いっぱいに響き渡っている。プロの声はやはりすごい。

 「この曲を大震災の犠牲者にささげたい」。モーツアルトが書いている途中で亡くなったとされるラクリモーザ(涙ながらの日)について、木村先生は練習の際にこう語っていた。悲痛なまでの美しさと深みをもつ名曲中の名曲。会場の響きに助けられて、ソプラノの音もきれいにきちんと上がっているようだ。最後のアーメンはすべてフォルテで歌い切った。

 あとは一気に進んだ気がする。カーネギーのサウンドはよく「ゴージャス」と表現される。歌いながら聴いている限り、そうした演奏ができているようだった。後半の途中で幼児のむずかる声が聞こえたが、もう最後の大フーガだ。木村先生は師の秋山和慶先生のようにキュー(出の合図)をテキパキと送り、合唱も迷うことなくフーガを歌い終えた。

 

空間に柔らかく漂うアヴェ・ヴェルム

 入場チケットは残席ゼロだったが、無料だし、雨の天候が出足を鈍らせたのか、7分ぐらいの入りだった。しかし終えた時の拍手の熱量は大きかった。カーテンコールに応えて、弦楽合奏の伴奏でモーツアルトがレクイエムの直前に書いた珠玉のモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」をアンコールとして歌った。弦の伴奏で歌う素晴らしさを感じながら、音量を抑えて響きが会場の空間に漂うように歌った。木村先生の指揮も柔らかい指揮だった。

 正直に言って、東京で練習していた時はこんな演奏ができるとは思えなかった。なんと言っても米国側との合同演奏のおかげである。合唱に厚く力強い響きを生み出した。このレクイエムに必要な深淵かつ壮大な表現を現実のものにした。終演後に楽屋で米側の団長を務めたアレックと抱き合って、共演の成功を喜んだ。

 ニュージャージー側にあるホテルに戻ってから乾杯したビールの美味しかったこと。地球の反対側まで来た甲斐があった、皆そう感じていたのではないだろうか。

 

 

モーツアルト公演の録音を聴いて

                                  

 いつの間にこんなに上手くなったのだろう‐-113日のモーツアルト公演の録音でレクイエムのAgnus Deiを聴いてこう思った。弱音のハーモニーが柔らかく、素晴らしい。かねて「本番に強い」といわれてきたが、違う合唱団みたいだ。練習の時とは全く違う響きに聴こえた。

 前半の「戴冠ミサ」。響きがまとまっている。ソプラノは高音で上がるべき所を上がっている。マエストロに練習ではあれだけ指を上に向けられたのに、大健闘だ。テナー、ベースも練習でありがちだった力味が感じられない。柔らかみがある。全体としてこの曲の持つ明るさ、躍動感をある程度、表現できている。

 後半の「レクイエム」。ハーモニーが良い。フーガもテーマが浮かび上がっている。練習時に比べると、響きを崩してしまう叫びが少ない。この曲に必要なダイナミックで美しい表現ができている。聴いてもらったお客さんが口々に「良かった」「感動した」と感想を述べてくれたのが納得できる思いだ。

 何よりも、マエストロの、音楽に呼吸をさせるような自然なテンポがこの曲の深味のある美しさを引き出している。古楽系のさっさと通り過ぎて行くような速いテンポと違う大きな流れの音楽になっている。オーケストラもモーツアルトにふさわしい、弦が切れの良い美しさを聴かせる。木管もうまい。

 47年前に秋山和慶先生の指揮で東響と歌ったモツレクで、トロンボーンが第3Tuba mirumの出でとちり、どの曲だったか最後に終わったらトランペットが残った「事故」を思い出した。その当時のプロの水準を超えているのは確かだろう。

 よく知られたこの名曲で聴衆に感動を与えるのは至難の業だと常々思っていた。せめて感心してもらえるような演奏ができればよいが、と練習しながら考えていた。マエストロの‘魔術’のおかげで、お客さんたちには感心してもらったようだし、中には感動して頂いた方々もいらっしゃったのは、なんとも嬉しいことだ。

 先日の反省会で出た足らざるところは留意するにせよ、忍耐強い安藤敬先生の練習で地道に積み上げたことが、秋山先生の棒で好い結果に結び付いたことを何よりも喜びたい。他の合唱団のあるベテランは「やはりアカデミーは良い演奏をする」とつぶやいていたのが、耳に残っている。

 この結果を踏み台に、ブラームスの最高峰「ドイツ・レクイエム」に登っていきたい。()

 

 

 

好演だったシティ・フィル「ドイツ・レクイエム」、

安井さんのソロが秀逸

 

 なんと言っても安井陽子さんのソプラノ・ソロが秀逸だった。昨年のカルミナ・ブラーナ公演でソロをしてもらった時に素晴らしい歌い手と思ったが、慰めを主題とするこの曲をこんな風に表現できるとは。これを聴いただけでも来た甲斐があった。飯守泰次郎指揮、東京シティ・フィル、シティ・フィル・コーアによるブラームス「ドイツ・レクイエム」の演奏を東京オペラシティで聴いた。

 シティ・フィル・コーアは総勢119人。S27人、A46人、T20人、B26人といういびつな編成だが、バランスは悪くない。アルトの声がしっかり聴こえてよいぐらいだ。楽譜を持たない人がほとんどだが、ソプラノとテナーに数人ずつ譜を見て歌っている人がいる。人数バランスを補正するためのプロのトラ(助っ人)かも知れない。

 最初の出だし。オケの低弦の響きが豊かだ。コントラバスが空気を振動させる。合唱のSelig sindのアカペラも決まった。ソプラノの響きは澄み、伸びがある。

 第2曲のDenn alles Fleisch es ist wie Grasも叫ばないで厚い響きを出している。ベースの力まない明るい音色が気持ちいい。フーガも見事。指揮者のマツバ(クレッシェンド+デクレッシェンド)の表現にうまく反応している。

 第3曲のバリトン・ソロは福島明也さん。さすがに上手いが、もっと声を出して欲しいところであまり出て来ないので、もの足りなさを感じる。指揮者のテンポは速くも遅くもなく、落ち着いている。合唱も好調だ。

 天国的に美しい第4曲は合唱がpで歌い出す。ソプラノが柔らかく抜けるような音で膨らみ、減衰させる。ヴァイオリンのメロディが聴かせる。シティ・フィルは今年3月の公演(ラッターとロイド・ウェッバーの「レクイエム」)の時にとても好い演奏をしてもらったが、やはり良いオケだ。

 第5曲のソプラノ・ソロ。安井さんの歌い方は曲にふさわしく、かつてのヤノビッツの名唱を聴くようである。安井さんはお腹が膨らんでいるので、出産がそう遠くなさそうだ。アカデミーのドイツ・レクイエムでは半田美和子さんにお願いしているが、半田さんもきっと勝るとも劣らない歌唱を聴かせてくれるはずである。

 第6曲。曲の頂点になる大フーガは力強くて見事。人数が少ないソプラノは発声がいいため、うまく他の声部に乗っている。ソロの福島さんはここでも「もっと声を」という気がした。

 終曲。fで出るソプラノはボリュームたっぷり。合唱の子音がたつのにも感心する。心地よいハーモニーのシャワーを浴びているような気がした。

 飯守さん指揮の演奏は実は初めて聴いた。斎藤秀雄門下で秋山和慶先生と同期と聞くが、そうとは思えないほど不器用な感じの棒だった。しかし音楽は奇をてらわず正攻法で、説得力があった。開演前に彼がピアノを弾きながら全曲のさわりを紹介しながら解説するプレトークがあった。弾きながら歌って話すのだが、お世辞にも良いとは言えないガラガラ声で、鳴っているピアノの音の良さとの対比がなんともユーモラスだった。()

 

 

 

 

グヴィー「レクイエム」日本初演、美しく壮大だが・・・  成田先生、堂々のソロ

                               

 ルイ・テオドール・グヴィー(1819-1898)という仏人作曲家の「レクイエム」の日本初演をサントリーホールで聴いた。ヴェルディやグノー、ブラームスなどと同時代の人だが、世界的にも忘れられた作曲家となっていたようだ。指揮は郡司博、合唱が東京オラトリオ研究会と東京ライエンコーア合同のなんと280人余の規模。オケは10年ほど前に設立された若手プロによるオラトリオ・シンフォニカJAPANで、ソリスト陣はS小林菜美、A三輪陽子、T藤川泰彰、Bは我らが成田眞先生だった。

 曲の印象をひと口で言えば、「壮大で美しい曲だが、どこかもの足りない」だった。静かな出だしはフォーレのようで、途中ではヴェルディを想起させるところもある。もの足りないのは、ホモフォニー主体でフーガは短いオザンナだけだったことと関係がありそうだ。ポリフォニーが生み出す、立体感、躍動感に乏しいきらいが否めない。-

 Dies iraeはモーツアルトやヴェルディにある怖れの表現には届かない。Lacrimosaはコーラスとヴァイオリンの掛け合いが美しいのだが、モーツアルトのぞっとするような深みはない。

 オケは第1ヴァイオリン10人の編成だが、280人余りの大合唱団とのバランスはそう悪くない。若手主体だが、日本のプロ奏者たちの層の厚さを実感する。私が東京アカデミーで合唱を始めた40数年前のプロに比べると、演奏力は上回るのではないか。

 ソロの成田先生は立派な歌唱だった。高い音域が多かったのだが、見事に響きがコントールされ、中低音域もあの練れた堂々たる声。Agnus Deiの出だしのソロ4重唱では低音をしっかり支えて、全体を安定させていて「うまいなー」だった。アルト三輪さんの深い音色のソロも収穫だ。バッハの受難曲にふさわしい声に聴こえた。

 指揮者、合唱は大健闘。60分の大曲を緩むことなく、演奏しきった。ただ、この曲の演奏にこれだけの人数の合唱団が必要かどうかは疑問が湧いた。この半分でも多い気がする。サントリーという大ホールで公演するには、チケットを沢山売り、合唱団人1人当たりの経費を下げるうえでも大編成の合唱団が必要だったのかも知れない。

 この日は前半に、ラッター「グローリア」(OSJフェスティバル合唱団)、ハイドン「戦時のミサ」(合唱は所沢バッハ・アカデミー、横浜モーツアルト・アカデミー)が演奏された。ラッターは85人、ハイドンは64人の合唱だったが、いずれも力まない発声でよく声が出ており好演。日本の合唱団のレベルは感心するほど高い。オケと歌う大型合唱団としては老舗といえる東京アカデミーもうかうかしてはいられない。

ラッター、ハイドンはやはり良い曲を聴かせてくれる。両曲でソプラノ・ソロを歌った高橋絵里さんはヴィブラートが少ないためか透明感があり、声が際立つ印象がある。見た目も花があり、舞台映えがする。楽しみな若手の大型歌手がまた現れた。()

 

 

 

 

難しいモーツアルト、携帯見ながらの歩行に思う                              

あれ、変だなあ――。通勤の時に駅のホームや通路で初めてこう感じたのは2年余り前。米国から帰国した直後だった。しかし、今ほど頻繁ではなかった。人の流れに乗らず、前の人だけやや遅い。後ろにいるので少しつっかえるのだ。前の人をよく見ると、携帯電話の画面を見ながら歩いている。周囲の流れが見えていない。自らが流れに竿さしていることが分からないのだろう。

NYにいた3年間はオフィスに近い所に住んでいたため、通勤で電車に乗ることはなかった。だから通勤時の様子は分からない。当時の米国は日本ほど携帯電話のサービス内容が充実していなかったが、今の携帯の機能を持つブラックベリーは普及していたので、同様のことが有ったかも知れない。しかし歩道を歩いている限り、つっかえるような体験はなかった。

オフィスで「混みあう駅の通路で携帯見ながら歩くなんて」と話したら、同僚は「おれもやっているからなあ・・・」。私もメールが入っているのに気付いた時なんかは、歩きながら見ることはたまにある。しかし歩きながら電話をかけることはあまりしない。受けるのを含めて、立ち止まることが多い。歩きながら電話をしている人を見ると、「忙しいんだな、気をつけないと危ないよ」と思う。

こういうことを思い出したのは、アカデミーの練習で安藤先生の注意があったからである。「皆さん、歌う時はパート内と他のパートを聴くように」と先日も話された。楽譜だけを見ていると、テンポに乗れない。自分の歌だけに専念していると、パート内のまとまりも欠ける。周囲の流れが見えず、流れ自体を乱すのは、通勤時の携帯見ながらの歩行と同じではと思ったのだ。

シンガポール時代に合唱団の指導者がもっとも口にしたことは「叫ぶな」だった。これに「他の人より大きな声で歌うな」「他の人を聴け」を合わせて‘合唱の3原則’と言っていた。8年ぐらい前にこの話をアカデミーだよりに送った覚えがあるが、時々思い出しては反省している。

モーツアルトは音が比較的簡単でも、音楽として演奏するのは難しい。指導者の先生方も時々仰ることだ。ピアノ・ソナタが音符が少ない分、表現力が問われるのと同様だろう。アマチュアの場合、モツレクや戴冠ミサでピターッとハーモニーが整っている演奏は多くない。整然として豊かなハーモニーがあっても、感動する演奏にはなかなか出合えない。

まずめざすのは整然とした豊かなハーモニーだ。これができれば聴衆に感心してもらえるかも知れない。しかし感動してもらえるかどうかは、さらにその先にある。

我々としては、練習の際には楽譜を見るにしても指揮が視野に入る角度で楽譜をもつようにしたい。すでに何回か歌った人たちは、楽譜は次の「出」を確認するぐらいにして指揮を見て歌うように、そして他を聴くようにしようではありませんか。もちろん自戒を込めて。

 

 

際立つ音、聴衆の意識を吸い込む――都響とのエルガー協奏曲

                         

「こういう困難な時だからこそ、私は皆さんとともにいたいと思い来日しました。後で楽員とともにロビーで募金をするのでご協力を」。東日本大震災から1カ月余り後の414日のサントリーホール。30年ほど前に東京都響をよく振っていた名匠モーシェ・アツモンはまず、プログラムにはなかったバッハの「G線上のアリア」を弦楽合奏で犠牲者に捧げ、1分間の黙祷をしてから聴衆にこう話した。

 そしてエルガーのヴァイオリン協奏曲へ。オーケストラのみの前奏が始まったとたんに、竹澤さんは目をつぶり、音楽に没入している。曲に合わせて身体が揺れる。

 ソロが入ってくる。一音一音が際立つ。聴衆の意識を吸い込んでしまうかのようだ。いつものことながら、よく鳴る低音に、切れがあって伸びる高音である。2管編成とはいえ大編成のオケの中で、どうしてあんなに独奏ヴァイオリンの音が際立つのだろう。

 たっぷりとした第2楽章はいうまでもないが、第3楽章も竹澤さんの音は聴く側の耳を集中させ続けた。音の良さばかりでなく、他に類をみない集中力のすごさ、演奏にかける気迫が聴衆に直接伝わっているに違いない。全曲暗譜でアツモンの指揮に寄り添うように奏した。

 竹澤さんの演奏を聴くといつも同じような感想になってしまうが、今回も50分の長さを感じさせない入魂の演奏となった。いつも期待を裏切らないための、日常の努力を継続する気力を思う。「プロの音楽家は11回が勝負であり、失敗は許されない」というある指揮者の言葉が思い浮かぶ。彼女はそうした世界で見事な演奏を続け、マエストロ達に、そして聴衆に強烈な印象を残す。

 ブラヴォーの声が何度もかかり、休憩前というのに竹澤さんは5回も呼び戻された。コンサートが終わったかのような湧き方だ。これがNYだったら総立ちの拍手だっただろう。しかし聴衆は座ったままでも、拍手の熱っぽさでどう受け止めたかを表現していた。

 

 

つのレクイエムの演奏を振りかえって

                  

今もあのコンサートのことを思うと、目と鼻の奥がジーンと熱くなる。合唱の公演は幾度も重ねてきたが、この演奏体験は大震災とともに生涯の記憶に残るだろう。

 ジイ―ッ、ジイーッ、ジイーッ・・・。切ったはずの携帯電話の不快な音に続き、くぐもった声の場内アナウンスが緊急地震警報を知らせる。警報の受信は自動的に場内アナウンスに結び付いているようだ。2011320日の東京オペラシティー・コンサートホールの舞台。東京アカデミー合唱団は公演直前のゲネプロのさ中だった。指揮者の秋山和慶先生が演奏を止めた。

2時間後の本番でこうなったら・・・」。不安がもう一つ加わった。実際、本番中に自分の脈動を地震の揺れと勘違いして、何度も吊下がっている録音用マイクを見上げた。

 本当に公演が実現できるのだろうか。綱渡りをしているような思いで公演日を迎えた。現代を代表するジョン・ラッターとロイド・ウェッバーの2つのレクイエムを、わずか9日前に起きた東日本大震災の犠牲者のためにも心を一つにして歌いたい。大きな余震の可能性、深刻な事故を起こした福島原発がどうなるか、といった不安に世の中が覆われていた。鬱々とした日々を送る聴衆の方々にも、レクイエムを聴いて頂くことで気持ちの安らぎを感じて頂ければ・・・。芸術、文化にはそうした役割があるはずだ。会場で募金活動もできるだろう。幸い、会場は少し前に始まった計画停電の対象にはなっていない。交通機関もほぼ通常に近い状態にまで戻ってきている。

団員の中には「中止すべきだ」という声もあった。実際、公演やイヴェントが続々と中止になっていた。E-plusのサイトによると、1300件以上の催し物が中止あるいは延期になった。チケットを買って頂いたお客さんの一部の方からは、「公演を中止したらどうか。実施するにしても交通機関が不便になっていて行きにくいので、払い戻して欲しい」という要望を受けた。

団では「公演を開催する以上、払い戻しはしない」ことをいったん決めていた。しかし、こうした声を受けて、特殊な状況下でもあり柔軟に対応する必要があると考え、申し出があった方々には公演後に払い戻しをすることにした。大半のチケットを売った多くの団員にもこうした要望が来ているはずだ。団員がその払い戻しを個人的に負担するのは避けたい、とも考えた。

「非常時だからこそ、先輩たちが残してくれた貯金を使っていいと思うよ」。団の先輩で、個人的な都合で公演には出ない長老が、公演前々日にこう電話で話してくれた。「払い戻しで、もともと予想していた赤字がさらに膨らむな」と頭を痛めていた時だった。救われる思いだった。

公演を自主的に中止した場合、会場代は全額、オケ、ソリストら演奏者へのキャンセル料の支払いが生じる。団が営々と蓄積してきた貯金は底を付き、以後の団運営は厳しくなることが必至だった。演奏者たちとの契約は「不可抗力の場合は双方で協議する」となっており、中止にやむなく追い込まれた際にはキャンセル料の減額が可能になる。それでも大半の貯金を吐き出すことになるのは確実だ。財政的にみて、「自主的な中止」は選択肢にはなり得ないというのが実情だった。

 公演前にはクリアしておくべきことが山のようにあった。主催者として何か起きた場合の責任が問われるということは頭の中にあった。しかし、来る、来ないの判断はお客さんがするのだから、なにもかも主催者の責任ということはないだろう。限定的な責任があるとしたら、主催者としてどこまで危機に備えた注意と準備をしていたかが問われる。

 オペラシティーのホールは構造的に堅牢で、ミューザ川崎で起きたような天井からの落下物はないとみていい。ホール側と話して、「非常時の誘導は会場係員が集合場所となる建物の搬入口までする。交通が止まって、帰宅できない場合は楽屋やロビーを開放する」ことを確認した。医療が必要な場合に周辺の医院で対応してくれる所のリストも作った。交通情報やニュースの提供は携帯やラジオ、TVに頼るしかない。

団員の女性には、「舞台衣装は黒のロングスカート」という決まりを緩めて、いざという時に行動しやすい黒のパンツでもよいことにし、本番ステージに貴重品を納めたバッグを持ち込めるようにもした。上着もすぐに着られるよう、楽屋ではなく舞台袖に置いてもらうことにした。また全団員に一晩分の水と軽食を用意するよう求めた。

 こうした準備をしながら、ソロ合わせ、2回のオケ合わせを進めていった。ミラノから大震災前日の310日に帰国したテナー・ソリストの中島康晴さん、「募金で私に協力できることがあったら何でもします」と言ってくれたソプラノ・ソリストの半田美和子さん、合わせるたびに上手になる11歳のボーイソプラノのT君。我々もほぼ1年間かけて練習を続けてきた。演奏をなんとか聴いて頂きたい、という思いが募った。公演前1週間で指揮者の秋山先生には2度も公演開催に向けて努力を続けることを確認させてもらった。「レクイエムだからね」。マエストロに迷いはなかった。

 「演奏会で黙祷ができないか」。こういう提案が何人かの団員から寄せられた。本番の前日だった。2回目のオケ合わせで楽屋にいたマエストロに相談した。演奏直前にすることにした。

「今日は2つのレクイエム、死者を悼むミサ曲を歌いますが、演奏に先だって大震災で亡くなられた多くの犠牲者の方々に1分間の黙祷を捧げたいと思います。座ったままでけっこうですのでご協力をお願いします」。舞台に出て、聴衆の方々にこうお願いをした。ざわついていた会場が鎮まり、祈りの空間と化した。レクイエムを演奏する我々と聴衆の心が一体化したようだった。

 ラッターのレクイエム。美しい響きが流れるように演奏できている。マエストロの棒は自然な呼吸を歌う側に与えてくれる。ソプラノの音が練習時よりいい。歌える悦びが湧く。半田美和子さんのソロが清冽で惹きこまれる。お客さんと気持ちを共有しながら演奏していることを実感できた。

 後半のロイド・ウェッバーのレクイエム。1年間近く歌っても難しいとしか思えなかった曲だが、オケやソリストと一緒に演奏してみて初めて曲の良さを実感できた。「ラクリモーザ」ではテナー陣の声質の柔らかい響きが心に沁み込むようだ。調性のない曲が続いた後の「ピエ・イエズ」。静かで癒しに満ちた伴奏が始まって、半田さんが清らかな声で歌いだす。「あの時はこみ上げるものがあって、歌えるかしらと思った」と後で話していたが、感動に満ちた歌となった。ボーイソプラノのT君が難しい下の旋律を半田さんに付けてとてもうまく歌っている。2時間ほど前、ゲネプロ終了後に誰もいない舞台で指導者と2人で練習を続けていた姿が浮かぶ。最高のデュエットだった。最後にバックコーラスをする男声合唱陣も柔らかで静かな響きを添えられた。

 余震は起きていない。緊急警報も鳴っていない。「あと少し」と祈る。最後の最後でパイプオルガンが全開で不協和音を鳴らす。世の中の理不尽さを憤るような物凄い響きだ。照明が暗転し、オルガンに赤い照明が当たる。そしてボーイソプラノが白い光に浮かび上がるように照らされて、カンボジアで死に追い込まれた姉の安息を願って「ペルペートゥア」(永遠に)のつぶやきを繰り返す。少年の声と照明が消えていくとともに涙があふれた。

 何事もなく公演を終えられたのは本当に幸運だった。お客さんから寄せられた感想を読んだり、聞いたりすると、歌う側も聴く側も深い感動を共有できた稀有の演奏会となった。私だけでなく、多くの聴衆も2つのレクイエムに涙したようだ。数日後に録音を聴いて、ロイド・ウェッバーの「ピエ・イエズ」にまた涙ぐんだ。大震災の9日後という特殊な状況がこのコンサート体験を生み出した。こうした公演ができたのは、実現に向け努力と協力を続けていただいた団内外の皆さんのおかげである。感謝し切れない。 (2011年4月3日)

 

 

 

 

 

半田さん、広い音域、多彩な音色で見事な歌唱

                             

なんという見事な歌唱だろう。半田美和子さんのリサイタルを越谷のサンシティホールで聴いた。

コラトゥーラ技巧を駆使する超高音からメゾのような深い音色の中低音まで音域は広い。曲による音色の多彩さ。CDで1曲ずつ聴いたら、とても同じ歌手の声とは思えないだろう。こういう歌い方ができるなら、ロイド・ウェッバーの高音も低音も十分に歌えそうだ。CDのサラ・ブライトマンよりも余裕をもって最高音Des、Cisも出せるのではないか。二期会の大沼久男プロデューサーが「彼女は中低音も大丈夫」と言っていたのも納得できる。

私は歌曲の「歌の翼に」(メンデルスゾーン)の声と歌い方が好きだ。ヴィブラートが少ないから透明感があり、清潔感が生れる。数ヶ月前に聴いたシューマン「女の愛と生涯」の自然な発声による表現力の素晴らしさが忘れられない。ずいぶん前に聴いた白井光子のリートリサイタルに匹敵する歌唱だった。

 5年前にソリストとして歌ってもらったロッシーニ「スタバト・マーテル」の時の声は「硬い声」というイメージが残っていたが、あれはこの人の1面に過ぎなかったか、その後‘大化け’したのか。

後半のオペラ・アリア集。「セヴィリアの理髪師」(ロッシーニ)、「ロミオとジュリエット」(グノー)から1曲ずつ、そして「清教徒」(ベッリーニ)と「ハムレット」(トマ)からの‘狂乱もの’を1曲ずつ。いずれも歌曲とは対照的に超高音域が連続するコロラトゥーラの技を披露するものだった。これなら「魔笛」の夜の女王のアリアも余裕をもって歌えそう。呼吸法がよいのだろう。高音の弱音を含め声のコントロールが自在だ。この分野では以前聴いたグルベローヴァの見事な歌が記憶に残るが、日本人でこれほど歌える歌手がいることを喜びたい。

司会の音楽学者で評論家の岡部真一郎さんに「今後の予定は?」と聞かれ、「今月20日にオペラシティーで開かれる東京アカデミー合唱団の公演でラッターとロイド・ウェッバーのレクイエムを歌います。秋山和慶先生の指揮です。皆さん、よろしかったら聴きにいらして下さい」と宣伝をしてくれた。

楽屋を訪ねて「再来週はソロ合わせやオケ合わせ、ゲネプロに本番と続きますが、よろしくお願いします」とお礼を兼ねてこう挨拶したら、「昨日もロイド・ウェッバーの音をピアノでさらいました。難しいけれど魅力的な曲ですね。皆さんとご一緒できるのを楽しみにしています」。本当に気さくな歌姫である。(2011年3月5日、南越谷サンシティ・ホール))

 

 

 

 

 

竹澤恭子リサイタル、フォーレとフランク、

                  充実の名演                                   

 

 バレンタインデーの東京は雪が降り続いていた。竹澤さんが江口玲さんのピアノでフランス作品を奏するリサイタルとあっては、聴き逃せない。町田市民ホールに出かけた。

 最初のルクレールのソナタ作品9-3。フランス=ベルギー・ヴァイオリン楽派の創始者とされる18世紀の作曲家だが、明るい感じがする曲。メロディーも親しみを感じさせる。1つのヴァイオリンの音とは思えないほど、よく鳴っている。特に第3曲のサラバンド:ラルゴが充実した音だった。スタートから竹澤さんは調子がよさそうだ。

 2つ目は名曲、フォーレのソナタ第1番。初めから迫力に満ち、切れる高音が冴えた。第2楽章ではヴァイオリンの太く豊かな低音と細く張り詰めた高音と、分散和音を弾く内省的なピアノが対話する。江口さんの音もいい。ヴァイオリンが縦糸、ピアノが横糸になって見事な織物になっていくようだ。京都で草木染をしている人間国宝、志村ふくみさんの気品のある緑色系の織物が思い浮かぶ。

 休憩で外を見たら、雪は降り続いている。気温が下がったようで、夕方の大き目のボタン雪から細かい雪に変わっていた。

 後半の第1曲はレイナルド・アーンのロマンスとノクターン。「ラヴェルと同時代の作曲家で、歌の作品が多い人です。フランスの知人がこういうよい曲がある、と教えてくれたのです。ノクターンにはミステリアスなところもあります」。竹澤さんは弾く前にこう解説した。ロマンスはそう名乗る多くの曲がそうであるように、伸びやかで優美な曲だった。ノクターンは移ろう美音が連なっていくフランスのヴァイオリン曲らしく、ピアノに乗ってヴァイオリンが歌う。歌曲作品が多いのがよく分かる。ノクターンだけあって翳りもあり、それがなんとも気が利いている。ヴァイオリンが最高音域で静かに消えて終わった。

 続くラヴェル「ハバネラの形式による小品」はラテン風のピアノ伴奏に乗ってヴァイオリンが歌い、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は香りが漂うように奏した。

 この日の最後は名曲中の名曲、フランクのソナタ・イ長調。慎重な出だし。ピアノの音が冴える。ヴァイオリンは徐々に力強く充実した音になっていく。切れるような美しい高音に豊かに鳴る中低音という竹澤トーンが出始める。ピアノの1つ1つの音が波紋を描いて広がる。そこへヴァイオリンの切れ味鋭い音が重なる。そして、あの有名なテーマがヴァイオリンで奏される。ピアノのアルペジオも美しい。なんと充実した音楽だろう。そして地に足を踏ん張る迫力で鬼気迫る演奏になった後に、明るさに転じ大団円となった。やはり竹澤さんはタダモノではない。古くはティボー&コルトーだろうが、現代でこれ以上のフランク演奏は望みようがない気がする。

 アンコールのフォーレ「夢のあとに」も充実した演奏会の余韻として楽しめた。もとは歌曲だが、チェロで弾かれることも多い。竹澤さんらしい力のこもった美音を最後まで聴かせてくれた。

 協奏曲や室内楽も素晴らしいが、リサイタルはやはり格別だ。竹澤恭子というヴァイオリニストはやっぱり凄い。ブラーヴァ!!! 江口さんにもブラーヴォ!!! (2011年2月14日、町田市民ホール)

 

  

見事なアカペラ演奏、スウェーデン放送合唱団

 

 合唱はこんなに表現力のあるものか。たった4声部のハーモニーがこれほど豊かで深い響きを出せるとは。楽器4つではとてもこうはいかない。スウェーデン放送合唱団のアカペラ(無伴奏)による演奏会。人間の声は最高の楽器であり、合唱がもつ表現の可能性を改めて思い知った。

 初めのバーバーの「アニュス・デイ(神の子羊)」。有名な「弦楽のためのアダージョ」を合唱曲にした曲だ。始まった瞬間にこの合唱団の素晴らしさが分かった。各パート9人の計36人だが、音色の良さとヴィブラートの少なさがもたらす完璧なハーモニーが、自在なダイナミックで盛り上がり、引いていく。フォルテ以上になると、まるで人数が倍いるのかと思うほどの音量になる。力みのない発声が共鳴や豊かな倍音を生むのだろう。

 マルタンの「二重合唱のためのミサ」(1922年作、62年初演)も、各パートが45人ずつとは思えないほど、パートの動きがわかる。‘音塊’となった時のぎっしり詰まったハーモニーの力強さ、気持ちよさ。こういう響きに接するのは合唱を聴く悦びというものだ。見事というほかない。アバードが公演やCDで好んで起用した合唱団であるのが納得できる。

 これほど魅力に満ちた合唱を聴くのは、コルボによるローザンヌ声楽アンサンブルのフォーレの「レクイエム」以来だ。無伴奏ということもあって、チケットの価格は安く、オペラシティの3階サイドの席は2千円だった。3階サイドは舞台の一部が見にくいが、音響は予想通り良かった。ここは私が属する東京アカデミー合唱団の定期演奏会場だが、B、C席にあたるこうした席も自信をもって売れると思った。

 プーランクの「人間の顔」(二重合唱のためのカンタータ)(1943年作)。同じ作曲家の「グローリア」ほどの良さは感じられないが、不協和音さえハーモニーとして聴こえる。現在、来年3月公演に向けた練習で不協和音が頻出するロイド・ウェッバー「レクイエム」をやっているので、耳が不協和音にもそれなりの美しさを感じられるようになってきたのだろうか。(2010618日、東京オペラシティコンサートホール)

 

 

「身体に入る」まで

                               

 最近、TVを見ていて「なるほど」と思った。1つはバレリーナの吉田都さんが英国ロイヤル・バレー団のプリンシパルとして最後の舞台に臨む直前の練習を追ったドキュメンタリー。

 「時間が足りない。もう時間がない」。練習を見ている振付師は「できているよ」という。

「まだ身体に入っていない。次のステップを考えながらやっているようでは舞台には立てない」。表情から、彼女が焦っていることが手に取るように分かる。演目は確かシンデレラの役。彼女は膝、腰などの痛みを抱え、満身創痍と言っていい状態での練習だという。本番は笑顔で踊り通してスタンディング・オベーションを得るほどの成功だった。

 もう1つは柳家権太楼が落語「宿屋の仇討ち」を熱演した後の話。インタビューに答えて、「この話は最初に師匠に教わって、それから枝雀さん、米朝師匠、三木助師匠らいろいろな人のやり方を聴いた。そして自分でやって身体に入るまで繰り返す。高座100回というが、自分のものになるには20年かかりました」。

 2人の話に出てきた「身体に入れる」という言葉に説得力があった。これは合唱をやっていても合点がいく表現だ。学生時代に合宿もして1年間かけて歌い込んだ曲、例えばモーツアルトの「レクイエム」「戴冠ミサ」「ヴェスペレ(晩祷歌)」、ベートーヴェン「ハ長調ミサ」、シューベルト「変ホ長調ミサ(第6番)」、バッハ「イエスはわが喜び(モテット3番)」などは、音が身体に入り込んだ気がする。今CDを聴きながら歌っても次の音は口をついて出る。楽譜を見なくてもたぶん歌えるだろう。

 東京アカデミー合唱団の練習でいま苦闘しているロイド・ウェッバー「レクイエム」。1987年にこの合唱団が秋山和慶先生の指揮で日本初演をしている。カンボジアの姉弟の悲劇に衝撃を受けて作曲したというこの曲は、至る所でパートとパートが半音の違いでぶつかり合う。例えば、ソプラノとベースが半音違いの音を歌う。不協和音の中でも最大級の不協和音だ。歌う方は、本能的に調和を求めてどちらかの音に近寄ろうとする。より美しい、歌いやすい和音の方向へ行ってしまう。

 自分のパートをさらっている時に音を取るのは難しくない。それが他のパートと合わせると、音が狂う。気がつくと他のパートの音を歌っている。これまで歌った不協和音が多くて難しい曲にはオネゲル「ダヴィデ王」、バーンスタイン「交響曲第3番=カディッシュ」があるが、今回のロイド・ウェッバーは最も難しい気がしている。

「半音同士でぶつかる部分は楽譜を見ただけでもかなり難しいとわかります。最初はたとえ間違えても誰もわかりゃしない、と開き直って歌えば良いと思います。全体練習を重ね耳が慣れてくれば不協和音にも馴れて来るはずです」。来年320日の公演でテナー・ソロを歌ってくれる、ミラノ・スカラ座などで主役を務めてきた中島康晴さんはこう励ましてくれる。

 中島さんの言葉も、言いかえれば「不協和音が身体に入り込むまで、練習せよ」ということだろう。そういえば、最初のうちは「おかしな旋律」と感じていたところも、練習しているうちに宗教曲の伝統を踏まえた現代的表現と思うようになってきた。そうした現代的な表現をしながら、調性のある協和音の世界に戻ることが多いのは、神、そして聴き手とのコミュニケーションをとろうとしているように思える。

 吉田都さんの表現を借りれば、「次の音を必死に考えているようでは、本番の舞台に乗れない」。来年3月公演までに、音が身体に入り込むようにしなければ。

 

 

RECITATIVO

長谷川潔